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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)7262号 判決

原告

仲山市子

被告

小林香料株式会社

ほか三名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自九九三万三七三六円を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自一億一七〇六万円を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第一項につき、仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生(以下、この事故を「本件事故」という。)

(1) 日時 昭和六二年一月二三日午後八時四〇分ごろ

(2) 場所 東京都港区新橋二丁目二一番二〇号先第一京浜国道交差点内(以下、「本件交差点」という。)

(3) 甲車 普通乗用自動車(品川五八ち九八七九)

右運転者 被告小林米治郎(以下、「被告小林」という。)

右所有者 被告小林香料株式会社(以下、「被告小林香料」という。)

(4) 乙車 普通乗用自動車(足立五五か七二〇八)

右運転者 被告長島清一(以下、「被告長島」という。)

右同乗者 原告

右所有者 被告八洲自動車株式会社(以下、「被告八洲自動車」という。)

(5) 態様 三田方面から銀座方面に向かつて本件交差点を直進中の乙車と、銀座方面から三田方面に向かつて進行してきて本件交差点を新橋駅方面に右折しようとした甲車との衝突

2  責任原因

(1) 被告小林香料は甲車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(2) 被告小林は、甲車を運転して本件交差点を右折するときは、対向直進してくる車両の有無に注意すると共に、このような車両を発見したときはその動静に注意して事故の発生を未然に防止すべきであるにもかかわらず、これらを怠つた過失により本件事故を発生させた。

(3) 被告八洲自動車は乙車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(4) 被告長島は、乙車を運転して本件交差点を直進するときは、対向右折車の有無に注意すると共に、このような車両を発見したときはその動静に注意して、ホーンボタンを押すとか、ハンドル、ブレーキ等を適切に操作する等して事故の発生を未然に防止すべきであるにもかかわらず、これらを怠つた過失により本件事故を発生させた。

3  原告の損害

(1) 負傷、治療経過など

〈1〉 負傷

顔面裂傷、顔面挫傷、頸椎捻挫、頭部・両下肢・肩打撲、左下腿擦過傷、頭部外傷後の神経症

〈2〉 治療経過

Ⅰ 昭和六二年一月二三日菊地病院通院(実日数一日)ガラス片の除去と顔面裂傷の縫合

Ⅱ 昭和六二年一月二四日から同年二月八日まで綾瀬民衆病院入院

縫合後の傷と頸椎捻挫の治療

Ⅲ 昭和六二年二月九日から同年五月一一日まで元島鍼灸院通院(実日数四三日)

膝が曲がらなくなつたため

Ⅳ 昭和六二年二月二〇日から現在まで虎の門病院通院

通院当初頃の診療科目と診断名は、形成外科・右顔面多発性瘢痕拘縮、整形外科・頸椎捻挫、眼科・右遠視、脳神経外科・頭部外傷、内科・痙攣発作、耳鼻科・耳管狭窄症というものであつた。その後、国立療養所宮城病院(以下、「宮城病院」という。)退院後は、心理療法室に通い、精神科・欝状態と診断されている。

Ⅴ 昭和六二年八月二五日から同年九月五日まで宮城病院入院

脳外科に受診

〈3〉 後遺障害

Ⅰ 顔面醜状

顔面に、長さ四・五センチメートルの右前額部眉毛上部(右眼部)の傷痕、長さ一・五センチメートルの傷痕、長さ二センチメートルの右前額部(右側頭部)毛の生え際の傷痕、八ミリメートル四方の右眉毛部(右眼上髪生え際)の傷痕、ガラス破片の残存 右耳横に八ミリメートル×三ミリメートルの傷痕

Ⅱ 頸椎捻挫

頭部・頸部の運動障害、運動痛、頭痛

Ⅲ 頭部痛、歩行障害

鈍痛・鋭い神経痛様の疼痛、眩暈や身体の浮動感があり、正常な安定した歩行が困難

Ⅳ 対人恐怖(圧迫)感、雑踏恐怖症

人と会うと不快感・圧迫感を感じ、三〇分が限度である。人込みに入ると、疲労感・不快感・圧迫感を強く感じる。これらの程度は、時により強く顕れるときもあるが、軽微にしか顕れないときもある。そのため、原告は、何時そのような症状が顕れるかとの恐怖心にさいなまれている。

Ⅴ 性的障害、恐怖症

原告は、男性と一緒の時を過すことに苦痛・不安を感ずる。特に、

性的接触に対して不感症のみでなく、恐怖感さえ感ずる。

これら後遺障害のうち、ⅡないしⅤの神経症状は、本件事故により頭部に外傷を受けたことにより生じたもので、頭部外傷後の神経症といわれているものである。頭部外傷後の神経症には、頭部外傷による基質的変化によるものと、災害によつて自己の生き方を変えさせられたことに対する反応として起こるものがあるといわれているが、本件は、後者に属するものである。

(2) 原告の具体的損害

〈1〉 逸失利益 八二〇六万〇〇〇〇円

原告は、本件事故当時、満四二歳で銀座のクラブ「琴女」のママとして稼働していたもので、その年収は一六二〇万円(月額一三五万円)であつたが、本件事故による前記の後遺障害のために全く稼働することができなくなつた。原告は、本件事故に遭わなければ、今後少なくとも一〇年間はママとして稼働することが可能であつたのであるから、その逸失利益は一億六二〇〇万円となるところ、右収入を得るに必要な経費は一割であるので、これを控除すると一億四五八〇万円となるが、そのうちの七割に相当する一億〇二〇六万円を逸失利益の基礎数値とする。そして、原告が、将来何らかの稼働をすることができることとなつたとしても、その年収は二〇〇万円を超えることはないので、その一〇年分である二〇〇〇万円を更に控除すると、八二〇六万円となる。

原告の後遺障害は、自動車保険料率算定会調査事務所によつて、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下、「等級表」という。)の一二級一四号に該当すると判断されているが、原告はホステスなのであるから対人恐怖症は接客業に致命的であるし、仮に従前のホステスに復帰できたとしても数年間のブランクのある原告を雇い入れる店はまずないのであるから、従前の収入を回復することはなく、従つて、等級表一二級の労働能力喪失率一四パーセントを前提とすべきではない。

〈2〉 慰謝料 三五〇〇万〇〇〇〇円

前記後遺障害等を考慮すると、原告の本件事故により受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては右金額が相当である。

(3) 損害の填補

治療費、交通費、その他諸雑費等については、既に支払われた金銭を充てることとする。

4  よつて、原告は、各自、被告小林香料及び同八洲自動車に対しては、いずれも自倍法三条により、同小林及び同長島に対しては、いずれも民法七〇九条により、一億一七〇六万円の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

(被告小林香料、同小林)

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2(1)(2)の各事実は認める。

3  同3(1)の〈1〉の事実のうち、頭部外傷後の神経症は知らないが、その余は認める。〈2〉の事実のうち、Ⅰ、Ⅱは認める、Ⅲは知らない、Ⅳのうち虎の門病院に現在も通院していることは知らないが、その余は認める、Ⅴのうち宮城病院に入院したことは認めるが、その余は知らない。同病院での診療科目は神経内科である。〈3〉の事実のうち、Ⅰの長さ四・五センチメートルとの点は否認し、その余は知らない。ⅡないしⅤは知らない。頭部外傷後の神経症についても知らない。

4  同3(2)の事実のうち、〈1〉の原告が本件事故当時銀座のクラブ「琴女」に勤務していたことは認めるが、その余は知らない。逸失利益の算定方法は争う。〈2〉は争う。

(被告八洲自動車、同長島)

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2(3)の事実は認めるが、損害賠償責任の存在は争う、同(4)は争う。

3  同3の(1)、(2)の各事実はいずれも知らない。

三  被告らの主張

1  被告ら全員

(1) 原告の顔面醜状痕について

顔面醜状痕が後遺障害と判断されるについては、単に痕跡があるだけではなく、その痕跡が人目につく程度であること、即ち、誰が見ても醜状痕であると認める程度であることを要する。後遺障害の認定に当たつた調査事務所での昭和六三年一月七日の面接調査によると、原告の醜状痕で右の程度に達しているものは、右前額部眉毛上部の三・五センチメートル×〇・二センチメートルの範囲に存する傷痕のみであつたというのであり、仮に原告主張のような他の傷痕があつたとしても、右の程度に達してはいないから顔面醜状痕にはあたらないというべきである。

(2) 頸椎捻挫について

虎の門病院では、昭和六二年六月八日をもつて、整形外科治療は中止となつているのであり、その後のカルテには若干の頸痛以外の記載はない。従つて、頸椎捻挫に関しては後遺障害を残していない。

(3) 頭部外傷後の神経症について

〈1〉 外傷による受傷後に神経症の如き症状を呈する者がいるが、頭部外傷が神経症状の原因であると判断するに足る事実、例えば外傷の程度、事故状況、神経症状の内容・程度等が明らかではない。又、その発生割合も不明である。

〈2〉 原告の頭部外傷は前額部挫創であつて、基質的には何らの異常もなく、醜状痕が残つた点を別にすれば、比較的短時間に治癒している。特段不安を感ずるような外傷ではない。このことは、神経症の原因が他にある事を窺わせる。事故前になかつた症状が事故後に顕れたからといつて、事故と因果関係があるというべきではない。原告が意識しなかつた軽度の神経症状があり、事故を契機として自覚するにいたることもあるからである。

〈3〉 原告は性格的に、ヒステリー的、依存的、派手な性格であり、あるいは生活史的にもホステスという不安定な職業に就いていたことから、そもそも神経症を起こし易い素因を有していたところに、本件事故により、生活状態に変化を来したことを誘因として神経症が発症したとも考えることができる。従つて、原告の性格が大きく影響していると評価することが相当である。又、本件事故後間もない時期に「琴女」を解雇されたことも生活上の変化として原告に影響を与えていると考えられる。

この場合、その損害が加害行為によつて通常発生する程度、範囲を超えており、かつ原告の心因的素因が大きく影響していることから、損害の公平な分担の見地から、民法七二二条二項を類推適用して、損害額の算定に当たり、原告の右事情を考慮すべきである。

(4) 既払いについて

被告小林香料、同小林は原告に対し、既に四四〇万円を支払つているが、これは被害項目を特定したものではない。

2  被告小林香料、同小林

(1) 原告の後遺障害について

〈1〉 原告の顔面醜状痕の症状固定日は、昭和六二年一二月四日である。

〈2〉 原告の頸椎捻挫の症状固定日は、昭和六二年六月八日である。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるので、これを引用する。

理由

一  事故の発生(請求の原因1)

1  請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

2  本件事故の態様について

右事実、証拠(甲一二、一七、一九ないし二三、三一、三四、原告)と弁論の全趣旨によると、本件交差点は、銀座方面と三田方面とを南北に結ぶアスフアルトで舗装された平坦な湿潤した道路(第一京浜国道)と汐留方向と新橋駅方向とを東西に結ぶ道路(裏道)との交差した地点であること、被告小林は、甲車を運転して銀座方面から三田方面に向かつて進行して本件交差点にいたり、ウインカーを点灯した後、対向車をやり過ごしたことから、最早対向車はないものと考え、時速一〇キロメートルの速度で本件交差点を新橋駅方面に右折したところ、同車の存在に気付きながらも自車の前方を横断することはないものと軽信し、原告を乗車させ、制限速度時速五〇キロメートルのところを時速約七〇キロメートルの速度で、三田方面から本件交差点に進入してきた被告長島の運転する乙車の右側面と甲車の前部とが衝突し、乙車は左前方に跳ばされ、半回転してガードパイプに衝突したこと、の事実を認めることができる。

二  責任原因(請求の原因2)

1  請求の原因2(1)の事実は原告と被告小林香料との間で争いがない。従つて、同被告は自賠法三条により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

2  同2(2)の事実は原告と被告小林との間で争いがない。従つて、同被告は民法七〇九条により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

3  同2(3)の事実は原告と被告八洲自動車との間で争いがない。従つて、同被告は自賠法三条により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

4  前記の認定事実によると、請求の原因2(4)の事実を認めることができる。従つて、同被告は民法七〇九条により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

三  原告の損害(請求の原因3)

1  原告の傷害・治療経過等について

(1)  原告と被告小林香料、同小林との間においては、原告が本件事故により顔面裂傷、顔面挫傷、頸椎捻挫、頭部・両下肢・肩打撲、左下腿擦過傷の傷害を受け、昭和六二年一月二三日のみ菊地病院に通院し、同年一月二四日から同年二月八日まで綾瀬民衆病院に入院し、同年二月二〇日から虎の門病院に通院し、同年八月二五日から同年九月五日まで宮城病院に入院した事実は争いがない。そして、右当事者間に争いのない事実、前記一で認定した事実、証拠(甲一ないし一一、二三、二九、三七、三八、四〇ないし四四、乙イ一ないし一六、証人南條文昭、同関直彦、原告)と弁論の全趣旨によると、以下の事実を認めることができる。

〈1〉 原告は、本件事故で頭部に強い衝撃を受けたことにより意識を喪失し、救急車で菊地病院に運ばれる途中で気が付いた。

〈2〉 菊地病院では、原告の負傷を右前額部挫創、左下腿挫傷(診断書のなかには顔面挫傷、頸椎捻挫との記載のものもある。)と診断した。右前額部眉毛上部、右眉毛部、右眼瞼外側部の挫創は全て縫合したが、うち一箇所は骨膜に達する深い傷で、縫合の長さも合計五センチメートル以上もあつた。また、左下腿には皮下出血がみられた。しかし、頭部、頸部のレントゲン上は異常はなかつた。医師は全治二週間の見込と判断した。原告は、事故当日と翌日に通院したのみであつた。

〈3〉 原告は、事故の翌日である昭和六二年一月二四日、綾瀬民衆病院で診察を受け、即日入院となつた。頭痛、吐き気があつて食事をとれないというのがその理由であつた。同病院での診断は、右眉毛部裂傷、左下腿擦過挫傷、頸部の側屈時の疼痛、圧痛、頭痛、吐き気というものであつたが、神経学的兆候、CTスキヤンでは得に採り上げるべき異常は認められていない。原告は、良好に回復して、昭和六二年二月八日に退院した。その後、頸部の側屈時の疼痛のため、同月一七日のみ通院した。

〈4〉 原告は、昭和六二年二月九日から同年五月一一日までに四三日間にわたり元島鍼灸院に通院した。頸椎捻挫、頭部打撲による眩暈、頭痛、後頭部から上腕・前腕にかけて鈍痛・痺れ感があるということであつたが、このような診断は、原告の訴えの域を出ないと考えられる。施術の結果、原告の状況は良好となつたが、治癒に至つてはいない。なお、虎の門病院では鍼灸院への通院を指示していない。

〈5〉 原告は、元島鍼灸院に通院しながら、昭和六二年二月二〇日から虎の門病院の各科に通院を始めた。頭が痺れるような感じがする、息苦しくなる等を訴えてのことである。

Ⅰ 原告は、昭和六二年二月二〇日から形成外科に通院することとした。初診時の診断名は右顔面多発性瘢痕拘縮ということで、右前額部眉毛上部(四五ミリメートル)、右前額部毛の生え際(八ミリメートル)、右眉毛部(一五ミリメートル)、右眼瞼外側部(二〇ミリメートル)、右頬骨弓部(八ミリメートル×三ミリメートル)に瘢痕があり、線状痕総和は九六ミリメートルに達しており、また、右眉毛部下瘢痕皮下にガラス片が迷入し、右側頭部頭皮の領域に知覚異常・疼痛があるというものであつた。原告は、同年七月三日まで七回にわたり通院し、同日症状固定となつた。後遺障害の内容は、右と大差はない。原告はその後も同科に通つている。

Ⅱ 原告は、昭和六二年二月二三日から形成外科に併せて整形外科にも通院した。その頃の原告の主訴は右示指を曲げにくく、かつ痛みを伴う、腰痛、背部痛というもので、他覚的にも触覚鈍麻が認められた。レントゲン上では頸椎症と認められたが、神経学的には概ね異常は認められなかつた。診断名は頸椎捻挫で、投薬を中心に加療し、同年六月八日に頸部運動痛を残して症状固定となつた。

Ⅲ 原告は、昭和六二年三月九日から脳神経外科に頭部外傷で通院を始めた。原告の訴えは、後頭部痺れ感、全身の脱力感、両下肢痙攣、片頭痛、息苦しくなるということであつた。同科医師は、CTスキヤン、脳波、神経学的検査の何れにも異常な所見は認められなかつたことから経過観察をしたが、同年一一月三〇日に症状固定となつた。

Ⅳ 原告は、そのほかにも、眼科、内科、耳鼻科にも受診したが、検査上は特に治療しなければならない異常はないと判断された。

〈6〉 原告は、その後、昭和六二年八月二五日から同年九月五日まで宮城病院神経内科を受診した。原告の主訴は後頭部痛、吐き気、性交時の頭痛にあり、精査のため、交通外傷後遺症、自律神経失調症との診断で、同日から入院した。同院医師の診察によると、他覚的にも両側の大後頭神経に圧痛点があり、頸部運動制限(特に後屈時)が認められたが、頭部CTスキヤン、胸部・頸椎レントゲン上は異常なく、神経学的に運動麻痺、知覚低下も認められなかつたので、ベツド上安静、鎮痛及び筋緊張緩解剤の投与による治療をなしたところ、徐々に軽快したが、なお従前の症状が残存し、退院日に症状固定となつた。なお、医師は、最終的には頭部外傷後遺症、頸椎捻挫と診断し、心因的要素が強く、今後二、三箇月間外来通院をして経過観察をする必要があると判断した。原告はその後同病院に通院する事なく転院した。

〈7〉 原告は、その後、虎の門病院に再度通院を始めた。診療科目は、当初は形成外科が主であつたが、その後、神経内科に変わり、そこでは欝状態ないし頭部外傷後の神経症と診断され、神経内科医師の指示により、原告は、昭和六二年一二月四日から心理療法室に通い、そこで芸術療法(AT)とカウンセリングを受けているが、その効果は、全般的には改善傾向を示している。原告は、同六三年七月一九日に一応症状は固定したとの診断を受けた。

〈8〉 原告の顔面醜状痕についての後遺障害に関し、その認定に当たつた調査事務所は、昭和六三年一月七日に原告との面接調査を行つたが、これによると、原告の醜状痕のうちで人目につく程度と認めたものは、右前額部右眉毛上部の三・五センチメートル×〇・二センチメートルの範囲に存する傷痕と、右眉毛部に一部が掛かり、これからはみ出している部分は一センチメートル×〇・二センチメートルの傷痕であり、何れも紅色色素の沈着が認められるとしている。そして、これを、等級表の一二級一四号に該当すると判断している。

〈9〉 原告の性格は几帳面、ヒステリー的、派手好き、依存的であることから、一旦衝撃を受けたときはその耐性は弱い性格であると考えられる。本件事故前には原告は格別の病気などの素因は持つていなかつた。

(2)  以上の事実に基づいて、本件事故により原告に生じた後遺障害の範囲について検討する。

先ず、原告の顔面醜状痕についてであるが、一件記録中には、昭和六二年六月八日の症状固定当時、顔面醜状痕がどの程度目立つものかを判断するための写真はない。僅かに事故後間もない頃である昭和六二年二月一〇日に撮影した写真(甲四二)が提出されているのみであるが、これによると、右前額部眉毛上部と右頬骨弓部とに目立つ負傷が認められ、これは瘢痕となつたときは色素が沈着し、目立つものとなることもまた認められる。その余の負傷については、瘢痕となつたとしても、そう目立つものとはならないと認めることが相当である。

次に、原告の主張するその余の点であるが、頭部に外傷を受けた場合において、基質的に何らの損傷が認められなくても、交通事故に遭遇し自分の生き方を変えられたことに対する反応として、震え・昏迷等の恐怖反応、無痛、朦朧状態、胸内苦悶、呼吸困難、過呼吸、下痢、頭痛、血圧変動等を示すことがある。これらは事故による外傷が一応回復した頃から目立つてくることが多いといわれているが、他覚的にその所見を認めることは困難である。原告は本件事故後に、既に認定のとおり、頭痛、吐き気、頸部疼痛、眩暈、脱力感等の症状が現れたのであるが、これには本件事故により受けた衝撃によるものと、その後の心因反応によるものとを含んでおり、両者を時期的に区別することは記録上はできないが、本件事故から相当期間経過していることからすると、現在の症状は主に心因反応によるものと推測することができる。そして、原告は本件事故前には何らの症状をも訴えることなく元気に稼働できていたことからすると、右症状は本件事故と相当因果関係があるというべきであり、しかも症状固定時の原告の症状は、等級表の一四級一〇号の局部に神経症状を残すものに該当すると認めることが相当である。被告らは、原告に事故前から存在した症状が事故を契機としては自覚されるにいたつたと主張するが、原告に事故前から症状が存在したと認める証拠はないので、被告らの主張は採用できない。

2  原告の具体的損害

(1)  逸失利益 四三万三七三六円

原告と被告小林香料、同小林との間においては、原告が本件事故当時、銀座のクラブ「琴女」に勤務していたことは争いがなく、争いのない右事実、右1の事実、証拠(甲一四の一ないし八、三五の一ないし四、三九、証人梅田久子、原告)と弁論の全趣旨によると、原告は、昭和一九年三月一六日生まれで、本件事故当時満四一歳であり、株式会社ことめの経営するクラブ「琴女」に、所謂雇われママとして勤務し、月額一三〇万円を下回らない収入を得ていたこと、原告は他にサービス料も取得していたこと、の事実を認めることができる。ところで、原告は、右月額収入を得るために必要な経費はその一割である旨主張するけれども、前掲各証拠、とりわけ証人梅田久子の証言と原告本人尋問の結果によると、原告は右の通り高額の収入がありながら確定申告をしていないし、必要とする経費もクラブで着る衣装代、美容院代とその際のタクシー代、クラブへの往復のタクシー代、客への付け届け代、客の飲食代が回収できなかつた時の自己負担等多岐にわたつていることからすると、到底一割程度の経費が相当であるとは認めることはできない。そして、原告は、サービス料がどの程度原告の収入となつていたのかを示す証拠を提出しないのであるから、原告の受け取るサービス料を逸失利益の算定に当たり勘案することもできない。そうすると、原告は収入中に占める経費を立証できていないのであるから、実質的な収入は明らかではないといわなければならない。

しかしながら、右の事実によれば、原告は、本件事故当時稼働することが可能であつたのであり、少なくも賃金センサス昭和六二年の産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者の四〇歳~四四歳の平均賃金二六九万七二〇〇円の収入を得ていたと認められるので、これを基礎とし、前記の後遺障害のうち外貌醜状については原告の仕事内容を勘案しても逸失利益を生ずると認めることは相当ではないので然程目立たない瘢痕も含めて慰謝料中で考慮することとし、その余の後遺障害による労働能力の喪失は五パーセントとし、症状固定後四年間存続するものとしてライプニツツ式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、原告の逸失利益は計算上四三万三七三六円となる。

(2)  慰謝料 九五〇万〇〇〇〇円

本件事故の態様、結果、原告の通院期間、後遺障害の内容・程度、外貌醜状について逸失利益の認められていないこと、患部にはガラス片の残存していること、その他本件審理に現れた一切の事情を総合して考慮すると、原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには九五〇万円をもつてすることが相当である。

(3)  損害のまとめ

以上の損害を合計すると、九九三万三七三六円となる。

四  心因性の寄与について

被告らは、原告の神経症状の発生は原告の心因性という本件事故以外の要因が関与しているのであるから、原告の損害賠償額の算定に当たつては、この点を考慮すべきである旨主張する。

不法行為法においては、「被害者のあるがままを受け入れなければならない」という原則が支配しているから、原則として被害者の精神的・心理的状態を考慮すべきではないが、被害者が賠償性神経症であるためその賠償請求を認めないことが却つて被害者の救済に役立つ場合、又は損害の拡大が被害者の精神的・心理的状態に基因するためその全てを加害者に負担させることが公平の観念に照らして著しく不当と認められるような場合には例外として精神的・心理的状態を考慮することができるものと解することが相当であるところ、原告が右の何れかに当たると認めるに足る証拠はなく、また、原告の前示程度の精神的・心理的状態では原告の損害賠償額の算定に当たつて斟酌することも公平の観念から相当ではないので、この点に関する被告らの主張は採用できない。

五  損害の填補について

被告らは、同小林香料及び同小林において、原告に対し四四〇万円を損害費目を限定することなく填補した旨主張しているが、原告は、それらを治療費等に充当したとして、本件では、逸失利益及び慰謝料のみを請求しているのであるから、被告らにおいては既払い額で原告に生じた損害のうちその余の部分に充当し、なお、残余のあることを主張・立証しないかぎり、原告請求部分に対する抗弁とはなり得ないと解すべきところ、被告らは、この点に関しては何ら主張・立証していないのであるから、結局被告らの右主張は採用できない。

六  結論

以上のとおり、原告の被告らに対する本件請求は、九九三万三七三六円の支払いを求める限度で理由があるので認容し、その余は失当であるのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言に付き同法一九六条を、それぞれ適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 長久保守夫)

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